あんよチャン!25足目LEBRON 16 LOW“Safari““Clear jade“描いてみた!!

nike lebron16 あんよチャン!

どーもです!

 

最近よーやく夏が来たかと思ったら

今度は台風が接近中らしいですねー( ̄▽ ̄;)

 

さて、

いつもエアジョーダンシリーズがやたら多めなあんよチャン!スニーカーイラストシリーズですが、

 

今回はマイケル・ジョーダンに負けない程のNBAのレジェンドプレイヤーのシグネチャーモデル!

“レブロン・ジェームズ“のスニーカーをイラストにしていきます!!

NBAレジェンドプレイヤー!レブロン・ジェームズ伝説(プレイヤーになるまで)

NBAのこと知らない人でも名前だけでも聞いたことある人も沢山いるはず!
パワー、スピード、テクニック全てを備えたプレイヤーと称えられ、今尚活躍し続ける

“生けるレジェンド“
「キング」の相性を持つレブロンジェームズについて触れていきましょう!

 

貧しい少年時代

レブロン・ジェームズはオハイオ州アクロン市にて、
16歳の母・グロリアに女手ひとつで育てられたレブロン。
生活は厳しく、友人宅に住まわせてもらったり、時には車中泊する生活を経ていたようです。

そんなある日、

公園で遊んでいた時にブルース・ケルカーという人物からアメフトのチームに誘われます。

彼に道具の補助も送り迎えも全て面倒みることと自分の家に親子二人で居候しても良いという条件でチームに入ることになり、

それが彼のアスリート人生の始まりにもなります。

レブロンは当時からあまりにも強く速く大きな選手だったため

相手チームからは出生証明書を求められたことすらあったみたいです。

 

自分の貧しい生活にコンプレックスを抱えていたレブロンにとって、

目立つことは自分を苦しめる行動に他ならなかったのですが、

ケルカーさんが”自分の生い立ちに誇りを持って胸を張ることの大切さを”伝え続けたことにより

後にバスケに専念するためにアメフトをやめてしまうことになるレブロンの背中を押します!

 

バスケの出会い、NBAの顔となる。

14のレブロンは

すでに抜群の身体能力と恵まれた体格だを生かしてすぐに頭角を現し、チームを全国2位にまで導いたりと大活躍。

高校生でありながらスポーツイラストレイテッド、スラムマガジンの表紙を飾り、ESBNマガジンの全米放送が来るなど

“NEXT マイケルジョーダン“と呼ばれ順調なキャリアを進んでいきます。

 

全米が注目した2003年全米ドラフト会議において
レブロンが入団したのは、キャバリアーズ!

当時成績が低迷していたキャバリアーズにとってこの采配は一筋の光だったことでしょう。

そんな過度な期待を背負った18歳のレブロンは
1年目のシーズンから期待通りの活躍を見せ、新人賞を受賞する。
チームメイトからの嫌がらせに苦労し、人間関係が上手くいっていなかったにも関わらず、

チームの快進撃の中心となって大活躍、

23歳になる頃にはNBAの顔となっていました。

 

NBAレジェンドプレイヤー!レブロン・ジェームズ伝説!!(プレイヤー時代)

NBAの顔から嫌われ者へ

続く2007,8年、彼は大きな決断をします。

なんと生放送のテレビ番組でマイアミ・ヒートへの移籍を発表した。

これはキャバリアーズの人たちやファンの人々さえも生放送を見るまでしらなかったらしく、

大激怒する人やレブロンのユニフォームを燃やすファンもいたそうです。

 

これはキャバリアーズを裏切る形となり、

ヒート内でドイン・ウェッド、クリス・ウォッシュ、レブロン・ジェームズからなるBIG3を結成したことからも

キャバリアーズファンのみならず、NBAファンからの反感を買うことになり、NBAの顔は「悪役」と呼ばれるようになる。

最強メンバーともいえるメンバーがそろったこともあり、優勝が確実視されていた初年度の10-11シーズンでは、
快進撃は見せたものの惜しくも優勝を逃してしまいます。

シーズンではMVPを取り、
選手としては完全にNo.1の称号を得ながら

敗戦の原因として批判されてしまい

終いには「大舞台では活躍できない」というレッテルまで張られてしまいます( ゚Д゚)

レブロンほどのスペックを以てしても優勝できない、やはりスポーツは何が起こるか分かりませんね


又、第5戦の試合前には高熱を出したノビツキー。
高熱、負傷をおして出場したノビツキーに対してウェイドとレブロンが侮辱した言動を行なったという事件もあり、

NBAの「悪役」という不名誉な称号は更に加速していた。

伝説のパフォーマンス

11-12シーズン。第6戦。

この日のレブロンは歴史に残る活躍で周囲を黙らせた。


セルティックスを相手に3勝2敗で後がなくなったヒート。
「やっぱりあいつは優勝させられない。」
と、またしても批難を浴びる発言をしつつ、

45得点15リバウンド5アシスト。
フィールドシュート成功率73,1%。


伝説級の完璧な数字で、絶体絶命だったチームを救います。

このプレイは最もインパクトを残したパフォーマンスとして

プレーオフの歴史の中でもファンの間でも語り注がれることになります

 

 

同じくNBAスターのジョンソン氏も

「スポーツ界にこれほどのリーダーはいない!」

と“キング”を絶賛し年間MVPへ後押ししたとか。

 

レブロンの使命

優勝できないという呪縛から解放され、
翌年の12−13シーズンでも2連覇、続く13−14ではファイナルでスパーズに敗れたものの、4度のファイナル進出、2度の優勝を果たしたヒート。

 

しかしこのタイミングでレブロンはまさかの決断を下します


キャバリアーズへの移籍です!


ヒートへの衝撃の移籍から4年後、レブロンは故郷であるオハイオ州に戻ってきたのです。

かつて自分の名誉のため故郷を捨てたと言われ、嫌われていたチームに戻ることになります。

凄い覚悟と決断・・・!(; ・`д・´)

この時のオハイオ州は1964年にNFL(アメフト)のクリーブランド・ブラウンズがチャンピオンになって以降、

なんと50年に渡ってアメリカの4大スポーツでチャンピオンチームが生まれていませんでした。


そんな自分の生まれた街にチャンピオンシップをもたらすため、レブロンの新たな挑戦が始まるのです。

 

見出し画像

NBAレジェンドプレイヤー!レブロン・ジェームズ伝説!!(王者への挑戦編)

王者への挑戦

レブロンが抜けた4年間低迷していたキャバリアーズは

ファイナルどころかプレーオフにも進出できずにいました。

 

レブロン加入後もそれまで以上に勝ち進みはしたものの、まだ試練は続き、
チームメイトの負傷が重なり後一歩のところで優勝を逃し、翌年も無敵状態と言われていたウォリアーズに優勝を阻まれ 、

 迎えたファイナルでも1、2戦連敗。

 


NBA新記録の1,2戦合わせて48点差をつけられ実力の差を見せつけられるキャバリアーズ。

「この街は呪われている。」

クリーブランドの人々の思考はこの言葉に支配されていたのかもしれません。

 

そんな中
落ち込んでいたキャバリアーズの全選手にレブロンが直接メールを送ります。

「歴史を塗り替えるぞ。」
この言葉でチームは一つになっていきます。

 敵地に乗り込んだ5戦目。
アービング、レブロンが大爆発し41得点づつ奪う快挙を成し遂げます。

それでも崖っぷちの状況は変わらない第6戦。
しかも相手はあのウォリアーズ。
そんな追い込まれた状況の中、レブロンはなんとこの日も41得点を挙げます!


幾度となく絶体絶命のピンチに陥りながらも歴史に残る結果で示し続けています

そして最終決戦の舞台はウォリアーズのホーム「オラクル・アリーナ」

完全敵地、50年以上遠ざかっていたチャンピオンシップまであと一歩。

どっちも譲らない大接戦。迎えた第4クォーター。

お互い得点がなく約4分89-89スコアが動かない均衡した状態だった。
残り時間あと2分。


キャバリアーズDFは完全に交わされ、ウォリアーズのカウンターが決まろうとしたその時!

 

その1メートル後ろから飛んできた男がそれを阻止!チームの希望が紡がれます!

飛んできた男、それはレブロン。

絶対決めさせない。そんな気迫のこもった決死のブロック!


その気迫に後押しされたチームメイトのアービングが執念のスリーを決め、更にレブロンがファールを受けフリースローを沈めてダメ押し。

93-89で試合終了。

大逆転優勝でNBAの歴史を塗り変え、52年ぶりにクリーブランドにチャンピオンシップをもたらします

これはただの一競技での優勝などではなく、
クリーブランド市民にとって長い呪縛から解き放たれた瞬間。

試合の流れはもちろん、故郷の運命すら変えたレブロンの決死のブロックは

世界中の人々の目に今も焼き付いている伝説のプレイなのです。

 

「CLEVELAND this is for you!」
(この優勝はクリーブランドみんなで取ったものだ!)


インタビューで彼はクリーブランド市民に向かってこう絶叫した。
かつて「勝負弱い」と批判されていたオハイオ出身の少年は、そんな自分を乗り越え、正真正銘のスーパースターになったのです。

その後彼は2018年、生まれ育ったアクロン市に
「I promiss school」という
授業料無料、アクロン大学に進学する際には授業料負担など、革新的な学校を設立し

現在はレーカーズでプレーしています。

これは噂ではありますが、
息子さんとバスケの最高峰の舞台であるNBAで共闘するまで「キング」として君臨し続けるつもりだそうです( *´艸`)
今後とも、目が離せないプレイヤーですねー

 

さて、ざっくりとレブロン・ジェームズのレジェンドを説明させていただきましたが、

次項ではレブロンとも深く関わるNBAの大事件についても触れておきましょう。